《日汉对照简明日本史》慕课资料第8章练习.doc

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幕藩体制の動揺

一.四択問題

1.享保の改革で石高1万石につき100石を献上させ、代わりに参勤交代の在府期間を半減した制度は?

A上げ米

B相対済し令

C足高の制

D公事方御定書

2.寛政の改革で飢饉に備えて社倉?義倉を設けて米穀を蓄えさせた制度は?

A倹約令

B囲米

C棄捐令

D七分金積立

3.徳川家斉の死後中心となって天保の改革を行った人物は?

A新井白石

B田沼意次

C松平定信

D水野忠邦

4.次のうち浮世絵を書いていなかった人物は?

A安藤広重

B葛飾北斎

C喜多川歌麿

D司馬江漢

5.寛政異学の禁で唯一許された学問は?

A朱子学

B国学

C蘭学

D陽明学

6.心学を起こした人物は?

A熊沢蕃山

B伊能忠敬

C安藤昌益

D石田梅岩

7.錦絵と呼ばれる多色刷りの浮世絵版画を創始した人物は誰?

A安藤広重

B鈴木晴信

C喜多川歌麿

D葛飾北斎

8.万葉集を研究していた国学者は?

A本居宣長

B賀茂真淵

C荷田春満

D平田篤胤

9.小林茶一が活躍した分野は?

A茶道

B武道

C俳句

D歌舞伎

10.寺子屋とは現在の何?

A学校

B役所

C警察

D病院

1.A2.B3.D4.D5.A

6.D7.A8.B9.C10.A

二.穴埋問題

問題1

1841年、老中(1)を中心に幕府権力の強化を目指して(2)が行われた。(1)は享保?寛政の両改革にならい、これまでにない倹約令をだして、ぜいたく品や華美な衣服を禁じ、人情本作者の(3)らを処罰するなど、風俗も厳しく取り締まった。そして(4)を発して農民の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制し、天保の大飢饉で荒廃した農村の再興をはかった。

問題2

1774年(5)?(6)らが西洋医学の解剖書を訳述した(7)は、画期的な成果であった。続いて大槻玄沢(おおつきげんたく)や宇田川玄随(うだがわげんずい)がでて、蘭学は各分野で隆盛をみせ、玄沢の門人(8)は蘭日辞書の「ハルマ和解」を作った。ほかには(9)が長崎で学んだ科学の知識をもとに物理学の研究を進めた。

問題3

18世紀半ばにでた(10)は錦絵(にしきえ)と呼ばれる多色刷の浮世絵版画を創始し、浮世絵の黄金時代を開いた。続いて、多くの美人画を描いた(11)、個性豊かに役者絵?相撲絵を描いた(12)らが、大首絵の手法を駆使して優れた作品を生み出し、民衆に喜ばれた。その後、「富嶽三十六景」の(13)?「東海道五十三次」の(14)らの錦絵が、民衆の旅への関心と結びついて歓迎された。

二、

1水野忠邦

2天保の改革

3為永春水

4人返しの法

5前野良沢

6杉田玄白

7解体新書

8稲村三伯

9平賀源内

10鈴木春信

11喜多川歌麿

12東洲斎写楽

13葛飾北斎

14安藤広重

三.記述問題

[1]18世紀にはいると,幕藩体制にはさまざまな矛盾が生じ,幕府政治もそれへの対応を迫られた。こうした対応の例である田沼意次の政治と松平定信の政治について,それぞれの政治が課題とした点に留意しつつ,その政治の特徴を200字以内で述べよ。

[2]江戸時代の後期に,産業が発達し商品流通が活発になったにもかかわらず,「天下の台所」である大坂の商業機能が衰えた事情を,下記の三つの語句をすべて用いて,160字以内で説明せよ。

藩専売株仲間在郷商人

三、

[1]享保期の年貢増徴政策が限界に達して百姓一揆が頻発するなか,田沼意次は株仲間?座の結成奨励,長崎貿易の拡大とロシア交易構想,商業資本による新田開発など,商業資本重視政策を展開した。一方,天災?飢饉による農村荒廃に対して松平定信は農業重視政策をとり,義倉?社倉などの窮民対策を行ない,都市に流入した没落農民に帰農を奨励するとともに,都市下層民救済策として人足寄場の設置や七分積金の制度を採用した。

[2]

問屋商人が株仲間を結成して流通を独占し,大坂が各地の物資の集散地として機能していた。ところが産業が発展するなか,各地で地域市場が形成されて在郷商人が台頭した。また藩財政の立て直しのため,特産物の領外への販売権を独占する藩専売制を採用する藩が多くなった。その結果,株仲間を介さない商品流通が拡大し,大坂の商業機能は衰えた。

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