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私の名前は月原加奈子、38歳、旅行会社に勤めている。 お客様がお店に入ると、まず、番号を書いたレシートを手にする。 チケット関連だけの人と、旅行の相談に来た人。 目的別に2種類の番号。 時に、旅行の相談窓口が混んでしまう。 私たちカウンター業務をする人間は、多いときで五名。 基本的に、お客様を選ぶことが出来ずに、ただ、番号順に席に誘う。 混んでいるとき、どのお客様が自分のところに来るか、気になることがある。 そのお客様は20代後半の、普通のOLに見えた。 銀行の制服にカーディガンを羽織っている。 胸のネームプレートは、鈴木。 彼女は、私の前に座ると、氷と言った。 「コオリ?」思わず聞き返してしまう。 「どこかの地名?」 「あ、ああ、す、すみません。いやだ、あたし、なにいってんだろう。あ、あのう、アイスランドに行きたいんです。」 と、顔を赤くして言った。 その表情は、素直で可愛かった。 「はい、かしこまりました。お日にちは?」と聞くところだったけれど、どうも、「コオリ」が気になって仕方がない。 「あのう、コオリって?」 と、ストレートに聞いてみた。 「ああ、恥ずかしい。あのう、変な風に聞こえるかもしれませんが、私、その、コオリが好きで、でコオリのホテルに泊まりたくて、コオリといえば、アイスランドだろうと思って、そしたら、ゴールデンウィークに行きたくなって、思い立ったら、すぐに旅行会社に相談したくなって、ああ、こおり、こおり、世界中が氷の場所に行くことが出来るかもしれないって想像したら、もう、頭の中、氷でいっぱいになって」 鈴木さんは、氷と言うたびに、両手で優しい輪を作った。 アイスランドに行きたいという鈴木さんは、大好きな氷について、話し始めた。 思えば、小さい頃から、氷に夢中でした。 夜中、冷蔵庫の製氷機が作動するとき、がらがらがらがらと音がするんです。 その音を聞くと、体中がしびれるほどうれしくなるんです。 あ、氷が出来た。透明で、立体で、触ると冷たい氷が出来た。 全身に喜びが走るんです。 おかしいですよね。自分でもよく分からないんです。 何でそこまで氷に魅かれるのか。 喫茶店や食堂で出されるお水、氷が入っていると、まず、氷をてにとって眺めます。 それから徐にかじります。 ぼりぼりがりがり。よく母親に怒られました、お行儀が悪いって。 かじることが出来ないとなると、今度はひたすら眺めました。 太陽にかざして見る。人の顔を重ねて見る。コップの下から覗いて見る。どんな風にみても、氷はすばらしかった。 一度も氷に裏切られたことはありません。 いま、わたしのトレンド(trend)は、上品なバーで出される丸い氷。 私は、お酒が飲めませんが、その氷が見たくて、バーに通います。 彼女の氷の話は、いつまでも解けることがなかった。 アイスランド旅行の相談にカウンターにやってきた鈴木さんは、氷について話続けた。 す、すみません。なんだか、話し出したら、とまらなくて、こんなふうに話したこと、ありません。 あのう、よかったら、全部話したいだけ話してください。 心からそう思った。 彼女の話し方には、他人を不快にする要素はまったくなく、むしろ、話を聞いていると、氷が何かのメタファー(metaphor)に思えてくる。 鈴木さんは、ふっと一息吐いた後、再び口を開いた。 去年の秋ぐらいに母親が入院して今年の年末年始は、病院にいる母親のそばにいました。 父親は、小さい頃他界していて、兄弟はいないので、家族は母親と私だけです。 それなのに、思えば、大人になってから、母親と時間を過ごすのは数えるほどしかありませんでした。 病室で色んな話をしました。 特に私が幼かったころのことを、母親は好んで話しました。 お前は、へんなもんが好きだったよね。 そう、氷。 話題は、氷のことに及びました。 ね、お母さん、あたし、どうして氷が好きになったんだと思う? と聞くと、 母親は、目を静かに閉じて、 さあ、ね。 と言いました。 私は、ベッドサイドで、しゃかしゃかとリンゴを剥きました。 そういえば、 と母親は、さっと目を開けて、天井を見ました。 お前は覚えていないかもしれないけれど、お父さん、大酒のみでね。焼酎を、氷だけのグラスで飲むんだけど、コップに氷を入れる係りが、お前だったんだよ。 グラスにからんって氷を入れるとね、お前が笑うの。 お父さんそれが楽しかったらしく、いっつもお前に、空のグラスを差し出すんだよね。 すると、お前は、ニコニコ笑って、冷蔵庫に走っていった。 私がね、もう飲まないでって言っても、おい、見ろよ、こいつ、いい顔で笑うだろうって。 空のグラスを持って走る幼い鈴木さんを想像してみた。 きっとお父さんが、鈴木さんの笑顔が見たかったように、幼い鈴木さんは、お父さんの笑顔

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